カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは大バッハ(ヨハン・セバスティン・バッハ)の次男です。 大バッハの息子の中で音楽家としてもっとも成功した人です。 プロイセンの王フリードリヒII世に仕え、名付け親のテレマン亡き後はハンブルクの5大教会の音楽を司る音楽監督を引き継ぎ、 当時は大バッハといえばこのエマヌエルのことだったそうです。 複雑な、ポリフォニックな構成をもった音楽は大バッハによって高度な完成を遂げ、 ソナタ形式を中心とするホモフォニック(和声的)音楽の胎動の時代。 エマヌエルの音楽も大きな役割を果たしたと考えられています。 この曲はオーストリア公使スヴィーテン男爵の依頼で書かれた6曲の「シンフォニア」第3曲です。 合奏協奏曲風の演奏形態をとりながら表現は古典派的なものに近づいていることが感じられると思われます。 3つの楽章が連続して演奏されます。 作品番号の「WQ」はベルギーの音楽学者ウォトケンスの付した番号です。
明快な古典性を基調としたシンフォニアであるが、 それだけに、随所に忍び込まされた変化和音や休止が、鮮やかな効果をあげている。 第1楽章では、疾走するように軽快な主要主題の動機がエピソードにも入りこみ、 曲の一元的統一を図っている。 第2楽章では、最強音と最弱音の間を行きつ戻りつする劇的なトゥッティにはさまれて、 最高弦が詠嘆的な楽句を繰りひろげる。 フィナーレは第1楽章と同じリズム動機に基づき、 ソナタ形式に近い2部形式によっている。
今回は、皆さんに人気のある音色を持つチェンバロの協奏曲に挑戦してみます。 英語ではハープシコードと呼ばれるこの楽器は、15世紀頃鍵盤楽器として形ができたと考えられ、 以来ピアノが出現し鍵盤楽器の主流となる18世紀後半まではもっともポピュラーな鍵盤楽器として広く活躍しました。 また今日、バロック音楽と共に現代に復活し、確固たる地位を占めるようになりました。 鍵盤を押すと鳥の羽の軸で弦を撥いて音を出す楽器です。 響板も構造もピアノのように頑丈ではないので強い張力で弦を張ることはできないため音量も小さく、 音程も狂いやすいのですが、その繊細さも音の魅力を作る要因の一つのようです。 さて、曲のことに進みましょう。 前回の「2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調」のノートに、 「チェンバロ協奏曲のほとんどが自作か他人の曲の編曲である」と書きましたが、 この曲も、現在は発見されていないオーボエ・ダ・モーレという楽器のための協奏曲を編曲したものと考えられています。 急−緩−急の楽章配列はその後の協奏曲の基本的な形のようですが、内容はバッハ独特のものといえる構成を持っています。
この作品の原曲は、イ調のオーボエ・ダモーレをソロとした協奏曲と考えられる。 しかし、チェンバロ・パートを通奏低音からはっきり独立させ、 合奏部分で装飾的に動かすなど、編曲のさい入念な加筆修正が行われているため、 オリジナルのチェンバロ協奏曲とみなされても少しも不思議ではない。 オーボエ・ダモーレは、1720年頃発明された楽器。 したがって原協奏曲はライプツィヒ時代(1723-)の初期か、 早ければケーテン時代に書かれたものと推定される。 曲は近代的でさわやかなアレグロに始まり、シチリアーノ風の情緒豊かなラルゲット(嬰ハ短調)をへて、 踊るようなアレグロ・マ・ノン・タントでしめくくられる。
今回でヘンデルは連続3回登場することになります。 いずれも作品6から「5番」「10番」、そして今回「11番」です。 1回とんで4年前にも「1番」を演奏していますから、よく演奏しているなとあらためて感じます。 演奏していて感じることは、音楽的表現が深くいいメロディーだなあという部分が多いことです。 コレッリ、ヴィヴァルディ、バッハとはひと味違う充実感があります。 これは私がチェロという主に通奏低音と呼ばれる部分を担当する楽器だからかもしれません。 ヴァイオリンのソロだけ難しく、目立つような作りとは違って、 どの楽器にも充実した響きとメロディーを与えられているヘンデルのこの曲集は やはり傑作というにふさわしい作品だと思うのです。 最も創作意欲が高く、充実していた54才の円熟期、オラトリオ「メサイア」の完成3年前の作品ときけば 納得のいくことでもあります。
作品6のなかで、もっとも独創的な曲である。 第1楽章は「フランス風序曲」の第1部分とみるには、あまりに長大であり、 ソロ・ヴァイオリンの活躍も目立つ。 第2楽章は自由なフーガで、経過的な短い第3楽章に続く第4、第5楽章では コンチェルティーノとリピエーノの対比が見事である。
バッハの項でチェンバロ協奏曲について書きましたが、 実はヴィヴァルディをよく研究していたバッハはこの曲を4台のチェンバロのための協奏曲に編曲しています。 BWV 1065 です。 「少なくとも過去において、この曲は……原曲としてよりも……バッハの……『4台のチェンバロの協奏曲』…… のほうが実演の頻度は多かったと思われる。」 と柴田南雄さんが書いているようにバッハの編曲は大変有名です。 もちろん今日のバロック音楽のオリジナル演奏が盛んな状態の中ではもうそんなことはないかもしれません。 さて、この曲は4台のヴァイオリンに加えてチェロも独奏群に入り、5人のソリストを必要とします。 3年前にも4つのヴァイオリンのための協奏曲(op.3-4)を演奏しましたが、 バロック音楽は当然独奏部分と合奏部分が編み出す音の芸術ですからメンバーは交代で独奏を担当しなければなりません。 今回はその独奏部分をまとめていただく意味で田崎先生にチェロを弾いていただくことになりました。 ご期待ください。
ヴィヴァルディの協奏曲集作品3は、1715年に出版されたが、 それには2種の版が有り、一はパリーのル・クレルク(Le Clerc)により、他はロンドンでウォルシュ(J.Walsh) によって出版された。そして、クレルク版には次のようなタイトルが附けられて居る………
調和の霊感。 トスカーナ地方の大領主、フェルディナンド3世陛下に捧げられた協奏曲。 バイオリンの演奏家でヴェネチァ救貧院の合奏長であるアントニオ・ヴィヴァルディの作品3の第1巻(および第2巻)
作品3の全12曲のうち、6曲以上がバッハによって編曲された。 即ち、第3、第9、第12番がピアノ協奏曲に、 第8、第11番がオルガン協奏曲に、 そしてこの第10番は4台のピアノとオーケストラの為の協奏曲に直されて居る。
バッハによって編曲されたところの各作品は、はじめは一般にバッハ自身のオリヂナル作品だと考えられて居た。 バッハの最初の伝記作者フォルケル(J.N.Forkrl)は、これらの曲を全部バッハ自身の作と信じていたし、 スピッタ(Spitta)も同様であった。
これらの曲が、ヴィヴァルディの音楽の編曲である事が初めて立証されたのは、 1850年、ヒルゲンフェルト(C.L.Hilgenfeldt)によってである。
バッハは、ヴィヴァルディのこの独特のコンチェルトに向って彼の音楽的天才の総ての富を降りそそいだ。 彼は新たにリズミカルな生命をその上に吹き込んだ。 彼の手の中ではそれは全く新しい容貌を見せたのである。
だが然し、原曲はそれ自身の価値を有して居り、 ミュンヘンでの演奏会に於ては、バッハの編曲以上に心打つものが有る事を証明したのである。 特長あるバイオリンの音色の取扱いが、この事について答える事ができよう。 全体としてこの作品は、新らしい音の世界の発見に最も重要な舞台となり、 今日に於ても尚我々を驚かせる古典的手法の勝利を示すものである。
この音楽の本当の重要さを理解する人は、単調な繰返しとか、 創作力の貧困などと云った点については決して語らないのである。 この作品の本質は、わざとらしさの無い単純さである事を悟るからである。
これらの協奏曲に初めて接したクワンツ(Quantz)は、その斬新さに心打たれ、 "輝かしいパッセージの作品" と記述している。
この協奏曲に於て我々は、メロディーの力強さと活力が、 最も引き伸ばされた場合でさえも稀薄にならないこと、そして、 交代する楽句が交響的な形式にすら近似して居る事に注目しなければなるまい。